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吹禅

普化宗(ふけしゅう)

普化和尚を宗祖とする普化宗は、虚無僧(こむそう)の宗派である。最近はまったく見なくなったが、私が子供の頃には筒型の深編み笠をかぶった虚無僧が、尺八を吹きながら門付けして歩く姿をときどき見かけたものである。普化宗の成立を禅学大辞典は次のように解説している。

普化和尚はいつも鈴鐸(れいたく。すず。りん)を持ち、これを鳴らしながら「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打、四方八面来旋風打、虚空来連架打」と唱えて歩いていた。この偈を普化四打話とか普化鈴鐸偈という。

張伯(ちょうはく)という人が、普化が鈴鐸偈を唱えているのを聞いてその宗風を慕い、師事することを願ったが普化は許さなかった。そこで張伯は自分が得意とする竹管(ちっかん。尺八)で普化の鈴鐸を模して吹くようになり、自ら虚鐸(こたく)と号した。こうして竹管によって普化鈴鐸の妙音が後世に伝えられ、それを法灯円明(ほっとう・えんみょう)国師が日本に伝えた。

法灯国師というのは心地覚心(しんち・かくしん)禅師のことで、彼は一二四九年に入宋(にっそう)し、臨済宗楊岐(ようぎ)派の無門慧開(むもん・えかい。無門関の著者)禅師の法を日本に伝え、和歌山県由良(ゆら)に興国寺(こうこくじ)を開いた。日本には二十四流(にじゅうしりゅう)の禅が伝わったとされ、国師が伝えた禅はそのうちの一つである。興国寺はもと妙心寺派に属していたが、昭和三十一年に独立して法灯派の本山となり、最近また妙心寺派に戻っている。

その法灯国師が無門禅師のもとで修行していたとき、普化宗の流れを伝える張参という修行者と親しくなり、彼から普化宗の秘奥(ひおう)を授かった。そして帰国のとき普化宗の居士四人をつれて帰り、興国寺に普化庵を作って彼らを住まわせた。これが日本普化宗の始まりとされ、法灯国師はその祖とされている。普化宗は江戸時代にはかなりの勢力を持っていたが、明治四年に明治政府によって廃止され、その後復興されたが勢力は回復しなかった。

普化宗の詳細は分からないが、坐禅とともに尺八を吹く吹禅(すいぜん)が修行の一つになっていること、尺八を吹きながら托鉢すること、法要のとき尺八を演奏すること、などの特徴があるという。尺八は一尺八寸が基本の長さになっていることから尺八と呼ばれており、その原型は唐代の中国で作られたという。